2015年3月20日金曜日

全ては必然。

案内文を作る時や、ふと何気ない時に先代が書いた文を読み返します。

読み返す文といってもHPに載っている内容で、特にすごく書き綴ったノートがあるわけではありません。

何回おんなじ文章を読み返したことかわかりませんが、いつも、文字が浮かび上がってくるような存在感を感じます。

僕にとって先代は、父親です。

通常、子にとって親とは底知れる受け皿なので、ただでさえ偉大さは感じるものです。

ただ、僕にとってはただの親でなく、哲学が加わるとカリスマに感じます。


30年前、これだけ深く物事をとらえそれを具現化した人が、いったい何人いただろうか。。。

今生きていたら、僕は骨の髄までしゃぶり取られるくらい仕えていたかもしれません。

死んでくれてよかった~

心の底からそう思えるほど、絶妙な時期、やり方でバトンタッチをしてくれました。

父が生きていたら、十年前に向島園は倒産していたかもしれません。
ともかく、魅力的な人間だったが、経営ができなかった。

命と引き換えに、絶対的な哲学を置いて行ってくれた。


そんな素晴らしき先代が生きているときに、その素晴らしさに気付けなかった自分の未熟さを感じ、書籍もなくバトンタッチもせずに逝ってしまった先代の思いを先代亡き後に想像力により理解できた自分に、選ばれし者というカリスマ性を感じます。

貶したり褒めたり、何を言いたいんだって言われそうですが。全部、全てなんです。

ともかく、こんなにも刺激的な毎日を暮れるのはありがたいことです。

そんな人が、お茶を作る。そんなお茶があることも、ありがたいことです。

継承し、ここまで成長した向島園。そして、まだまだ成長する向島園を、今、もし先代と1分でも話すことができたら、どのように評価してくれるのか聞きたくてたまりません。

冷静に考えると、僕はただ父親に評価されたいだけなのかもしれません。

そう子供に思わせるくらいの、おやじの背中になりたいものです。

いろは君。 とーちゃん頑張ります!

みんな、ありがとう!

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